札幌農学校(現北海道大学)の初代教頭として有名なクラーク博士。

クラーク博士の有名な言葉として「少年よ大志を抱け(Boys, be ambitious)」というものがありますが、これはいつどこで言った言葉なのか?

気になったことはありますか?

あえて聞かれれば、さっぽろ羊ケ丘公園にクラーク博士の像があるので羊ケ丘公園?と答えてしまいそうですが実は札幌市内ではないんですよね。

「少年よ大志を抱け」の場所に行ってみました。

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「少年よ大志を抱け」の舞台となった場所は北広島市にありました

旧島松駅逓所のアクセス情報

旧島松駅逓所

住所  北海道北広島市島松1番地1

開館期間 4月28日~11月3日

開館時間 10時~17時

入館料 大人200円、小・中学生100円

休館日 月曜日(月曜日が祝日の場合は直後の平日)

駐車場 無料

関連記事:北広島市のカントリーサイン(標識マーク)がクラーク博士なのはなぜ?北広島市とクラーク博士の関係は?

旧島松駅逓所の駐車場

駐車場は旧島松駅逓所の建物の道路を挟んで斜め向かいくらいに案内板が出ていますのでわかりやすいと思います。

旧島松駅逓所とクラークの碑について

「少年よ大志を懐け」(「抱け」を石碑と同じ漢字で書いています)の舞台となった場所は「旧島松駅逓所」として現在も残っています。

近くには

クラークの碑が置かれています。

それにしてもなぜ札幌農学校から20キロ以上も離れた北広島の地が「少年よ大志を懐け」の場所となったのか?

それはここが「駅逓所」ということがポイントです。

「駅逓所」は今は聞きなれない言葉ですが、駅逓制度が廃止になるまでは北海道内に600か所以上もあったそうです。

駅逓所(運営者は駅逓取扱人で半官半民)には駅舎と人馬が準備されていて、宿泊、運送(郵便)などの役割を持ってようです。

 

クラーク博士はなぜ札幌から20キロ以上も離れたこの場所で「少年よ大志を懐け(Boys, be ambitious)」と言ったのか?

それはクラーク博士が帰国の際にこの島松駅逓所に立ち寄っていて、教え子の学生さんたちがここまでお見送りに来ていたからなんですね。

この先の千歳にも駅逓所があったそうですがさすがにそこまでは行けなかったようです。

ガイドさんに伺ったところによると当時札幌から島松駅逓所に到着するまで4時間くらいかかったのではないかとのことでした。

 

クラーク博士は島松駅逓所で昼食を摂り、「少年よ大志を懐け(Boys, be ambitious)」の言葉を残して帰国します。

ちなみに、今の感覚でいうと千歳から飛行機で帰ったの?と思ってしまいますが明治10年当時そんなわけはありませんよね。

この後横浜から帰国するのですから島松の別れの後も相当な長旅をしたことが想像できます。

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旧島松駅逓所の中の様子

旧島松駅逓所は当時のままの部分と一部は明治時代の図面をもとに復元して公開されています。

結構中は広いです。

駅逓所は宿舎としての役割もありましたので宿泊する人がいたようですが、一人あたり畳1畳で貸し出していたそうです。

この部屋にぎっしり人が寝ていたんですね。

中には当時の人が書いた床の落書きなども残っていて面白いです。その場所はたぶんガイドさんに教えてもらわないとわからないと思います。

旧島松駅逓所に展示されている資料

クラーク博士の島松の別れの資料はもちろんあるのですが、実はこの旧島松駅逓所はそれだけの場所ではないのです。

実はここは

寒地稲作発祥の地なのです。

島松駅逓所はのちに4代駅逓取扱人となる中山久蔵さんという人の自宅でもあります。

この中山久蔵さんは明治時代にこの地に入植して当時北海道では道南以外では不可能といわれていた稲作を成功させました。

ここで栽培された「赤毛種」という品種が改良を重ねられ、現代の「ゆめぴりか」や「ななつぼし」へと繋がります。

現在北海道は米どころとしても有名ですが、そのはじまりはこの中山久蔵さんの米作りへの執念からうまれたものだったんですね。

展示されている褒状には西郷隆盛の弟、「西郷従道」や「大久保利通」の名前もみることができます。当時を知る貴重な資料ですね。

ちなみにこの中山久蔵さんは元は仙台藩士に仕えていて仙台と白老を行き来していたことがあるそうです。

それってもしかしてあの白老仙台藩陣屋に来ていたのでは?(参考記事⇒北海道の歴史観光!幕末の北海道(蝦夷地)を警備した場所・白老仙台藩陣屋跡に行ってきました

と考えると歴史が繋がって面白いですね(^^)

 

そしてさらにこの島松駅逓所は明治天皇が昼食のために立ち寄った場所でもあります。

その時の部屋は行在所(あんざいしょ)として復元されています。

 

このように旧島松駅逓所は、クラーク博士島松の別れに関する資料、中山久蔵さんの自宅であり寒地稲作成功に関する資料、明治天皇行在所の資料という3つの案件が保管される場所となっています。

旧島松駅逓所の前のこの道路をクラーク博士や明治天皇が通っていたんですね。

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赤毛種をいただきました

実りがあってお金が増えるそうです(笑)

ガイドさんのお話を聞いていた時に記念に頂いた、現在は一般にはお米として流通していない赤毛種の写真を撮ってみました。

写真でわかるでしょうか?他のお米にはない髭のようなものがあるのが特徴だそうです。

この髭がひっかかるため機械ではなく手作業が必要で手間がかかってしまうという欠点もあるとか。

ちなみにこの髭が赤く染まるのが赤毛という名前の由来のようです。

 

ちゃんと持ち歩いているのでお金増えないかな~(^^;

まとめ

クラーク博士が「少年よ大志を抱け」といった場所は北広島市にありました。

そしてその場所は寒地稲作発祥の地であり、明治天皇の行在所でもありました。

ガイドさんに聞いたところ旅行会社はこの場所をミステリーツアーのコースにいれていて、ミステリーツアーとして観光客の方々が訪れるそうです。

3つの資料がそろっている旧島松駅逓所は私にとっては十分に歴史的な場所なのですが…。ミステリーです(>_<)

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