久しぶりに東京に帰って来ると北海道外から北海道をみる目を思い出しますね。

そこで頭に浮かんだことが、「札幌市時計台はそんなにがっかりな場所なのか?」ということです。

ちょっとインターネットで調べてみると日本三大がっかりスポットに札幌市時計台の名前がありました。

北海道のがっかりスポットではなくて「日本」のがっかりスポットですよ(^^;

実は私も北海道に行って初めて時計台を見たときにがっかりした人間の一人です。でも今はそうは思わないです。というか「見て」がっかりするということ自体が違うと思うのです。

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札幌市時計台を見たときの印象

写真は11月14日の世界糖尿病デーの日に合わせて行われているブルーライトアップです。

 

北海道に来て実際の時計台を 見る前までの私の時計台のイメージというのは、確か某インスタントラーメンの袋の写真になっていた時計台のイメージと「札幌の象徴となる有名な場所」というイメージでした。

インスタントラーメンの袋の写真は周囲がなくて時計台の時計部分だけが写真として掲載されていたと思います。そこから思い描くイメージは森の中にひっそりと大きな時計台があるイメージでした。「北海道の建造物」というだけでそういう景観を思い浮かべてしまうんですよね。

当時私は北海道に行ったことがないですから北海道というだけで大自然を思い描きます。

余談ですが、私は初めて札幌駅の周辺を訪れたときの印象を友人に「大手町のミニチュア版みたいなところなんだよ。古い建物とかそんなところじゃない」って伝えていました。

ちなみに友人も「えーそんなことないでしょ、田舎でしょ?」と言っていました。

東京で生まれ育って、東京の中だけで生活して関東から出たことがない人間にはこんな風に東京以外の地方を見てしまうようになる人間もいるわけです。狭い知識しかないというのは怖いことですね。

 

さらに余談になりますが、数年前に仕事の会議でシンガポールに行ったことがあります。会議先がシンガポールと決まった時に私も含めて海外に行ったことがない私以上の年代の人たちの声は、「なんでわざわざアジアの国に行くの?」というものでした。

この感覚は当時はある一定以上の年代の人たちにはあったと思うんですよね。「アジアの国で一番発展しているのは日本」だから他のアジアの国なんて・・・という思いが背景にあります。

でも実際にシンガポールのチャンギ空港に到着してから宿泊先のマリーナベイ・サンズに行くまでの間だけでそんな考えは一変します。

ものすごく都市化されてますよね。私のようなおじさん連中がホテルの中で「シンガポール、すみません。参りました。」と言っていたのを覚えています。狭い知識の中で知っている情報だけで物事を判断してしまうというのは怖いことですね。

 

話が逸れてしまいましたが、実際に札幌市時計台を見たとき、「小さいな」というのが私の第一印象です。それは「がっかり」という感想そのものです。森の中にひっそりとある大きな時計台のイメージを持っていましたから、こんなだったの?と思うわけです。

多くの人はこのがっかり感の後に、「まあ来たんだし、記念写真撮って帰ろう」となって家に帰ります。そして写真を他の人に見せながら「がっかりな場所だったよー」という話をするのではないでしょうか。

私も初めて時計台を見たときはがっかりな場所だったなと思ってそのまま帰りました。

 

でも、札幌市時計台ってそういう場所なのでしょうか?

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国指定重要文化財 旧札幌農学校演武場とクラーク博士

旧札幌農学校演武場と聞いてすぐに札幌市時計台が思い浮かぶ人はどれだけいるでしょうか?

「旧札幌農学校」というのは、現在の北海道大学の前身となる学校です。北海道開拓の指導者を育成する目的で1876年(明治9年)年に開校しています。

この学校の初代教頭が有名なクラーク博士ですね。

そしてその札幌農学校に建設された演武場が現在は札幌市時計台と呼ばれているというわけです。

時計台=演武場とは知らなければ想像ができないですよね。

 

演武場建設を提言したクラーク博士

この札幌農学校演武場はクラーク博士が建設を提言しています。

当時は札幌農学校で兵式訓練も行っていたためその訓練場として演武場が必要とされたわけです。

農学校で兵式が必要なの?と今であれば思いますが、当時はいつ戦争があるかわからない時代です。

特にアメリカ合衆国マサチューセッツ農科大学長をしていたクラーク博士にとっては、南北戦争で自分の教え子を数多く失った経験から、「もう二度と戦争で自分の教え子を失いたくない、学生たちには自分で自分を守れる力を身につけて欲しい」という思いが演武場の建設提言に込められていたのではないかという解説をクラーク博士の特集番組で聞いたことがあります。

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札幌農学校演武場の完成と塔時計の設置

演武場は1878年(明治11年)の10月16日に完成しています。

あまり知られていないことですが、クラーク博士の任期は8か月という短い期間でした。

演武場完成当時既にクラーク博士はアメリカへ帰国していて完成した演武場を見ていません。

 

そして当時の演武場ですが、この時点では塔時計は設置されていません。

その後、塔時計の設置が決まってアメリカの会社に発注されて完成品が届いたのですが、塔時計のサイズが合わなかったために時計塔の大規模な改修工事が行われてようやく現在のように塔時計が設置されました。

演武場に塔時計が設置されて、札幌の住民に正確な時刻を知らせる鐘の音を届けるようになったのは1881年(明治14年)8月12日のことです。

その後1903年(明治36年)に札幌農学校が移転します。この時、当時の札幌区が演武場を借り受けることになりました。その頃から「時計台」と呼ばれるようになったそうです。

ちなみに1906年(明治39年)に道路整備のためにそのままの状態で少し南に移動されています。元の演武場があった場所には「演武場跡」の石碑が建てられています。

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札幌農学校演武場(札幌市時計台)は研究の場であり入学式・卒業式が行われた場所だった

演武場1階は研究室、講義室として使われていて、2階が演武場と中央講堂として入学式や卒業式が行われていたそうです。

つまり1903年に札幌農学校が移転するまでの間、数多くの学生がこの演武場(時計台)で学び、卒業式を迎えて日本の発展に貢献し影響を与える人材として羽ばたいたわけです。

若い人では知らないかもしれませんが、以前の5000円札の表面に肖像が描かれていた新渡戸稲造も札幌農学校2期生としてこの演武場で学び卒業式を行った一人です。

わかりやすいように新渡戸稲造という名前を出しましたが、札幌農学校は数多くの人材を輩出してる学校です。

札幌市時計台の公式ページ内の「時計台のあゆみ」のページに記載があるので詳しくはそちらをご覧ください。

また「時計台を守り伝える」のページの時計台の保守の歴史もこの時計台にかける職人の思い、札幌市民の思いを知ることができてとても興味深いです。

もちろん時計台内を観覧すれば多くの資料をみることもできます。

 

まとめ

いかがでしょうか。札幌市時計台を見てがっかりして帰るだけではこの建造物本当の意味を知ることはできません。

太平洋戦争中の金属供出でも撤去されることなく完成から現在に至るまで変化する札幌を見続けて、保守を重ねて完成当時のまま今も札幌市民に正確な時刻を知らせている札幌市時計台。

私はこの札幌市時計台の歴史を知った時、小さくても、外観がどうであっても、そんなことはどうでもよくなりました

札幌市時計台はがっかりスポットではなくなったのです。

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